父の誕生日が過ぎた。生きていれば101歳であるが、97歳で他界している。父は90歳近くまで技術者として働いていた。勤めていた会社がローカルなテレビ番組で取り上げられたとき、父が大きなパソコンの前で操作をしている映像が一瞬映ったが、誰も90歳近い老人だとは気づかなかっただろう。(番組自体は新技術開発を取り上げたもので、高齢者の就業問題は関係なかった。)80代の頃は、遠隔地の工業製品展示会において、機械の設置から説明員まで一人でこなしていた。
そんな父が80代の頃に嵌っていたのが「ネットオークション」だった。主なターゲットは絵画である。私が実家に帰るたびに購入した絵画の数は増えており、リビング、ダイニング、階段まで絵画の額であふれかえるようになった。本人は価値のある絵画を安く手に入れたと自慢げにうんちくを語っていたが、もちろん素人の我々は殆ど信じていなかった。だから、父が亡くなったときもそれらの絵画の一枚も欲しいとは思わなかった。はっきり言って好きな絵が無かったからである。
最近、私は家に絵画を飾ることを楽しみにするようになった。私が飾るのは勿論本物ではない。複製画である。今はデジタル技術が進み、本物そっくりの色や筆致の複製画が沢山出回っている。しかも、大きさも部屋に合わせて選ぶことができる。狭い家に飾るなら縮小版を買えばよいのである。ネットで好きな絵画を探し注文すれば直ちに届けてもらえるのが嬉しい。それを、大、中、小のイーゼルに立て掛けて部屋に置く。リビングのソファーに座った時に見える位置、リビングで食事中に見える位置など考えながら置き場所を選ぶ。孫が来る日は、走り回って危ないのでさっと片付ける。壁には掛けない。震災などで落ちて思わぬ怪我をすることが怖いからである。特に、廊下には絶対掛けないと決めている。将来車いす生活になったとき、震災に遭って額が落ちて通れなくなったら逃げられない。
そうは言っても、廊下にも絵が欲しいという気持ちが抑えられなくなった。そこで、つい飛びついてしまったのが「シール形式の壁紙ポスター」である。60cm × 50cmのフェルメールの「デルフト眺望」のポスターを購入し、廊下の突き当りに貼りつけた。しかし、いくら本物そっくりの絵画であってもやはり壁紙にしか見えない。何とかならないか、と「額縁の模様が印刷されたマスキングテープ」を購入した。幅10cmのテープを絵の周りに貼ってみたら、大きさは80cm × 70cmと大きくなったが、やはり額に似せた壁紙であることに変わりはない。それでも、廊下を歩くたびに、大好きな絵を撫でながら、デルフトの眺望を楽しんでいる。ただし、もうシール壁紙は止めるつもりである。結局高くついたので。
廊下は諦めて、仕事部屋と寝室に絵を飾ることにした。イーゼルは邪魔になるので壁に掛けるしかない。ただし、机やベッドから離れたところに掛ける。今日届いたのはモネの睡蓮の複製画である。ピンの穴が開く程度で済むフックを使って掛けた。あともうひとつは何にしようかな。じっと眺めていて飽きない風景画か静物画がいいな。絵画は遠くから眺め、近くでじっと観て楽しんでこそ価値がある。
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所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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絵画は観て楽しんでこそ価値がある
2019.08.25