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思い出は作られる


2016.12.24


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 10年日記というものを40代半ばから現在(60代の終わり近く)まで25年近くつけている。たまたま、最初の頃の12月末の日記を読んで驚いた。年末ぎりぎりまで遠方への出張が頻繁にあり、合間を縫って忘年会に出ている。週末も出勤して事務処理をしている。しかも、始終、頭痛がする、吐き気がする、と書いてある。それでも休まず出勤している。明らかに二日酔いなので意地でも休めないのだろう。当時は子供が中学生と小学生だったはずである。夕食など作っている暇があったのだろうか。一体家族はどうしていたのだろうか。もちろんお節料理など作っている形跡はない。大掃除らしきこともしている様には見えない。40代半ばの私の生活はこんなものだったのか。

 ずっと私は仕事と家庭を両立出来たと密かに自信を持っていた。私の家族との思い出は、夏休みの旅行、お正月の餅つき、家族そろっての週末の買い物、などなど、楽しいものばかりである。家族とのコミュニケーションは十分にとれていたと思い込んでいた。それは、私が心の中で作り上げてきた幻の思い出だったのか。

 年長者の昔話は、都合よく盛られ、修飾され、作り上げられたものかもしれない。思い出話は真実とは限らない。むしろ真実に見せかけた作り物と思った方がよいのだ。もちろん、楽しい思い出によって生きてきた意味が実感できるのは事実だろうし、それを否定するつもりはない。でも、あるところで冷静に思い出を捉えなおす必要もあるだろう。

 最近、昭和が輝かしいものとして取り上げられることが多い。そこで語られるのは夢、希望、活気、といったものである。しかし、冷静になって考えてみると、疑問に感じることも多い。例えば、昭和の時代に戻りたいか、と聞かれたら、絶対に嫌と答えるだろう。特に女性にとっては、現在の方がずっと自由で生きやすいと思われる。例えば、家庭においては父親に絶対服従で、女性は一段下に置かれていたし、結婚しないということは犯罪のように思わされていた。会社に入ればセクハラ、パワハラのオンパレードで、「よくあれほどのひどい言葉を若い女性(私)に投げつけたものだ」と怒りを通り越してあきれるほどである。電車に乗ればタバコの煙が充満し、弁当の空箱は席の下に投げ込まれ、道端では痰は吐かれ、タバコの吸い殻があちこちに捨てられていた。風呂に毎日入るなどまれなので満員電車での乗客の体臭はきつく、大人の男性の背広はふけだらけであった。現在の無臭で清潔で静かな環境からこんな時代に誰が戻りたいだろうか。戻ったとしたら、たちまち病人が続出だろう。といったことも、実は作られた(負の)思い出なのかもしれない。

 思い出は、半分は幻の事実と考え、現在の状況に感謝しつつ、将来をもっと良くすべく努力することが、一番大切なことではないか。



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