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様々な「事実」との付き合い方


2019.07.14


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 10年日記を4半世紀書き続けている。時間があれば同じ頃にあった大きな出来事の前後の記述を読み返す。7月の今頃であれば、2年前の腸閉塞による入院、手術から、退院後の無理な仕事によって歩けなくなったことが大きな出来事にあたる。というわけで2017年の7月から8月にかけての日記を読み返したのだが、記憶と大分ずれがあることに気づいた。

 私がよく周りの人に話す大変だったエピソードは、「歩けなくなって寝たり起きたりしていたときに冷蔵庫の中の食べ物が無くなり、杖にすがってコンビニにまで行き何とか牛乳とパンを買ってしのいだ。」というものだった。しかし日記を読むと、8月の初めにコンビニに行っているのだが「杖なしで行けた」とある。その数日後にはスーパーにも杖なしで行っている。10日後には、電車に乗って墓参りにまで行っているではないか。

 日記に書かれていることは(嘘をつく必要などないので)事実だろう。「杖にすがって」歯を食いしばっていたのは7月中、つまり大学に通って授業をしていたときなのだ。当時、通勤時間は片道3時間。一部グリーン車を使っていたのだが、大半は乗り換えと駅からの歩きだった。しかも夏である。8月になり大学が休みに入った後は、寝たり起きたりの生活で、歩行はあっという間に改善した。しかし、座っているとき、寝ているときの痛みは続き、1時間おきに目が覚めるという状態が長期間続いたのも事実である。それらを総合して作られたストーリーが「杖にすがってコンビニに行く」になったわけである。

 記憶は作られる。事実を記録しておくことが必要だ。だから10年日記をつけ続ける意味もあるのだが、こちらもそろそろ怪しげになってきた。毎日つけるのも面倒なので1週間分まとめてつけているのだが、よほどのことが無い限り記憶がぽろぽろ抜け落ちる。高齢者の日常は「よほどのこと」は無いことが多い。そこで、毎日、やったことのメモを残し、それを日記に書き写している。それでも1日ずれることはよくある。

 さて、事実が「起こったこと」であれば、単に記録しておけばよいのだが、事実かどうか分からないものだとすると、まずはそれを突き止めなければ先に進めない。多くの数学者が生涯かけて証明に取り組んでいる〇〇問題や△△予想とまでは言わないが、凡人にもそれなりに存在する。私がこの2週間悩み続けてきたのは、Raspberry Pi(ラズパイ)のアナログ出力端子から音を出してスピーカーで聞くことができないことだった。ラズパイの設定が正しいことは確認されているのに、スピーカーからは雑音が出るだけである。Googleさんに聞いてみると、ラズパイの出力端子は4極だが、3極のプラグのスピーカーやイヤホンでも音は聞けると誰もが答える。なぜできないのかどうしても分からない。家の中を引っ掻き回したところ、iphoneの4極ミニプラグ付きのイヤホンが見つかった。それを刺してみると見事に音が出た。やっぱり4極じゃなきゃダメなんじゃないか。ぶつぶつ言いながらもう一度3極のミニプラグを刺したところしっかり刺さってきれいな音が出た。4極も3極も関係なし。出力端子にプラグがひっかかって刺さらなかったのをもう一つのプラグでこじ開けたら刺さっただけのことだった。これも日記に書いておこう。まずはメモだな。



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