大学の情報倫理の講義の中で、必ず学生に意見を出してもらう課題がある。それは、「インターネット上でデマ情報が拡散するのは何故なのか。それを防ぐための方法は何だと思うか。」である。議論のたたき台として、架空の学生の意見を示す。その概要は以下の通りである。『SNSの世界では同じ考えを持つ人達がグループで固まるという状況になりやすく、グループにとって都合の悪い情報は確認しない。デマ情報の拡散を防ぐためには、リツイートの前に情報の真偽の確認をするプロセスを入れるべきである。』
これに対して、毎年、大半(ほぼ全員)の学生が反論する。多くの人の意見は、デマの拡散の原因はグループで固まることではなく、「面白いことを皆に知らせて自慢したい」、「皆が信じていることは正しい」という思いではないか、というものである。今年もまた同じような意見で埋め尽くされた。私自身も、たたき台で示した意見よりも、これらの反論の方が感覚的にしっくりくる。さらには、たたき台で示された解決策は、むしろ反論で挙げられた原因に対する解決策と見た方が良いのではないかと思う。
その思いを強くしたのが、『ルポ 人は科学が苦手 アメリカ「科学不信」の現場から』(三井誠著 光文社文庫)である。この本で示されるのは、アメリカにおける「地球温暖化はでっちあげ」、「進化論は科学者のでっちあげであり人類は6千年前に神が創造したもの」、「地球は平らであり、宇宙開発はすべてでっちあげ」といった意見が根強く存在するということである。しかも、それは、支持政党(共和党)や信仰(聖書の内容を信じること)に根差しており、それらを信じるグループ内で固定化している。科学的知識の量は考えに影響しないどころか、勉強すればするほど考えが強固になるとのことである。そうであれば、たたき台の後半で示した「リツイートの前に情報の真偽の確認をするプロセスを入れる」は、アメリカにおいては全く役に立たない無駄な対策となる。
日本においては、「地球温暖化」「進化論」「地球は丸い」「月に人類が降り立った」などについて証明できなくとも、実感がなくとも、信じない人はほぼいないのではないか。皆が信じていることは正しいに違いないと思っているからである。そういえば、子供が何かを要求するときに必ず言う言葉がある。「みんな」である。何か欲しければ「皆が持ってる」、ゲームがしたければ「皆がやってる」、テレビが観たければ「皆が観てる」。甘い親は子供が仲間外れになることを恐れて、つい要求を聞き入れてしまう。「みんな」とは具体的に誰で、全体の何パーセントか、は問わない。日本人にとって「みんな」は神であり、思想のインフラストラクチャーなのではないか。それはそれで、恐ろしくも思えてくる。
ひょっとしたら、日本においては、デマ情報を拡散させないためにその情報の信ぴょう性を伝えることは有効かもしれない。「これを信じているのは皆ではない」ことを統計データで示す、あるいは反論で示すことができれば、疑いを持つところまで行くかもしれない。さらに「正しい情報を示す」ことができれば、「正しいことを皆に知らせて自慢したい」気持ちからそれを拡散させることになるだろう。やってみる価値はある。
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所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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日本人は「みんな」が信じていることを信じる
2019.07.07