65年前のことである。私は一年保育で幼稚園に在籍していたが、殆ど通っていなかった。今で言う登園拒否である。原因は精神面、健康面の問題が複合していたのだろうが、とにかく行きたくなかった。両親は幼稚園を止めさせることを考えたが、当時、幼稚園の卒園証書をもらうということはステータスであり、止めてしまっては後々禍根を残す、という祖母の(根拠のない)主張により撤回された。両親は幼稚園と交渉し、行事だけでも参加すれば卒園証書を出してもらえるという約束を取り付けたようだった。だから、私の幼稚園の思い出は、七夕祭り、遠足、運動会、お雛祭りだけである。
あるとき、久しぶりに幼稚園に行ってみると、運動会で行う仮装行列の練習をしていた。園児たちは各々童話に出てくる好きな登場人物(キャラクター)の衣装を着けていた。そこで私に与えられたのは、誰も手を上げなかった「毒リンゴを白雪姫に食べさせる魔法使いのおばあさん」(原作では邪悪な母親)だった。カーテンをマント替わりにして、杖とリンゴを持てばよいだけで準備は必要ない、という幼稚園の配慮だったかもしれない。そんなことはお構いなく、私は「嫌だ」と言った。せっかく幼稚園まで連れて来たのにまた登園拒否されてしまうことを恐れた両親は、自分たちで準備をするので別のキャラクターに変えてもらえないか、と交渉した。幼稚園側は(多分、渋々と)了承した。
私たち親子が選んだのは、私が大好きだった絵本の「アラジンと魔法のランプ」だった。当時メッキ工場で働いていた父は、納品できない不良品のアクセサリーの土台や金属の飾り物を大量にもらい受けてきた。乳飲み子を含む3人の幼児を抱えていた20代の母は、徹夜でそれらをどこかにあった大きな布に縫い付けて、立派なベールにした。手先の器用な父はガラスの空き瓶を使って見事なランプを作った。次の朝、ベールを身に着けてランプを持った私は、アラジンには見えなかったがアラビアの王女様に変身していた。周りにおだてられた私は、気分良く運動会に出かけて行った。
急なことで、仮装行列の並び順には変更はなく、私は白雪姫の後を歩くことになった。その時初めて、私たち(勘違い)親子は大切なことに気づいた。白いワンピースの可愛い女の子は、後にリンゴを持った魔法使いのおばあさん(原作では邪悪な母親)が居て初めて「白雪姫」と認識されるということに。しかし、後にいるのは意味不明のアラビアの王女様である。しかも、身に着けているのはキラキラ、ピカピカ、ジャラジャラの飾りのついたベールである。我々は、白雪姫の大事な晴れ舞台を台無しにしてしまったのだ。
登園拒否をする我が子を何とか幼稚園に行かせたいと必死で考えて行動した若い両親には感謝の気持ちしかない。亡くなった父とはその後いろいろと軋轢もあったが、最終的には穏やかに見送ることができた。現在施設に暮らす母は、決して私が我儘だったとは言わず、体が弱かったから、と今でも気遣ってくれる。皆、自分の立場で必死に頑張ってきただけである。非難する気持ちなどない。でも、やはり私は最後にこれだけは言わなければならない。
「白雪姫さん本当にごめんなさい」。
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所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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白雪姫さんごめんなさい
2019.06.16