週2回の大学での講義、機械学習の勉強、Raspberry Pi(ラズパイ)の工作をしながらPythonのプログラミングとIOTの勉強、そして、天気の良い日はウォーキング、と充実した日々を送っている(つもりである)。今日はこれをやろう、明日はあれをやろう、と考えるのも楽しい。でも、ふと、サラリーマンの習性が顔を出す。毎日会社に行き、週末に休み、夏休みの旅行を楽しみに1年間を過ごすという、あの生活パターンである。現在の生活パターンは何だか、仕事をさぼっているみたいで申し訳ない。
そもそも、このコラムを書いている場所は自分の技術士事務所のホームページである。そんな暇があったら営業活動をしっかりやるべきではないか。と考えるのは当然で、実際は3つの人材サービス会社、1つのクラウドソーシング・サイトに登録し、定期的なメールマガジンを受け取っている。しかし、市場から求められているのは即戦力の技術者(Javaのプログラマやwebサイトの開発者)か大企業のキーマンとの人脈であって、時間のかかる人材育成や生産性向上への取り組みはオファーがない。
最近はポストに入っているアルバイト募集、ボランティア募集にも目を向けるようになった。書店の店員(時給1,000円以上か)、小学生に算数を教えるチューター、子供にプログラミングや電子工作を教えるボランティア、など、その気になればできることはありそうである。ただし、いずれの求人も若い人が来るのを期待していることはひしひしと感じられる。(老眼鏡のおばあさんに電子工作を教わるより若い大学生に教わりたい・・・よね)
そんなとき、「サバティカル」という言葉が目に入った。「使途に制限のない長期休暇」だそうだ。そういえば、定年をかなり残して退職して大学教授になった人が、その制度を利用して1年間海外の大学に行っている、なんて話を聞いたことがある。大学を出てから50年近くフルタイムで働いてきて、その間出産、子育てもした私にはサバティカルなんて無縁だった。それなら、石田厚子技術士事務所として、所長の私にサバティカル休暇を与えればよいではないか。その間、これまで経験したことのないプログラミング言語(Pythonなど)や技術(機械学習、ディープラーニングなど)を好きなだけ勉強する。子供(まずは自分の孫を想定)にプログラミングを教える新たな方法を作り出せるかもしれない。
私の寝室には4つの目覚まし時計がある。いずれも、3時45分にベルが鳴るように設定してある。それが私の起床時刻だった。長距離通勤と慢性的な睡眠不足が何十年も続いていた。現在、目覚まし時計の3つは壊れて動かない。残る1つもベルは鳴らない。今は6時に起きる。睡眠時間は2時間も増えた。当然ながら、じっくりとものを考える時間はある。次のために何かを生み出せる余地は十分あるのではないか。
年を取ると、昔できていたことができなくなる。例えば、子供のころに習っていたピアノはバイエルの最初の部分すらうまく指が動かず弾けない。それを時間をかけて取り戻すよりも、新しいことに挑戦したい。若い人よりは時間がかかるかもしれないが、若い人より時間はある。サバティカルでいいじゃないか。年金生活者の特権だ。
自分の信念に従って行動する「高い志を持つ、市場価値の高い技術者」を育成します。
「市場価値の高い技術者の育成」を目指して、
コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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サバティカルでいいじゃないか
2019.05.19