トップページ > コラム

踊り場だったような平成


2019.04.07


イメージ写真

 私は現在70歳である。昭和に40年間、平成に30年間生きてきた。長さからすれば、4対3ということになるが、感覚的には、5対2、ひょっとすると6対1のような気がする。それだけ昭和は長く感じられる。それはそうだろう。昭和時代の40年間のうちに、赤ん坊から学生、そして社会人、母親となり、それなりに一人前の働きができるようになったのだから。40歳の私は自信に満ち溢れていた。

 一方で平成はあっという間だった。最初の10年間は夢中で仕事をしたが、50歳を超える頃から足踏み状態が続いていた。むしろ何かしていなければと焦ることが多くなった。例えてみれば下りのエスカレータで上の階に行こうとしているようなもので、止まれば下におりていくだけ、必死で登ってようやく現状維持、上に上がるための体力はもうない、という状況である。時間だけは過ぎていくのに上の階にたどりつけない。結局何もしていないのと同じ。それが時間を短く感じさせる理由かもしれない。

 時代の流れをエスカレータではなく階段で考えてみると、平成は踊り場だったのではないかと思う。昭和を駆け上って来て、一段落して、歩いてはいるが上ってはいない。がんばっているはずなのに成果が得られた感覚がない。景気はよいはずなのに給料が上がらない。でも、昭和時代よりは豊かな生活をしているような気もする。なぜなら、昭和時代の映像でおもちゃみたいな家電や、友達同士連絡を取り合うことが困難な状況を見ると、誰もが笑っているではないか。絶対に平成の現代の方が良いと思っているはずだ。

 話は突然変わるが、自宅の6年以上使ってきたデスクトップ・パソコンのwifiが使えなくなってしまった。そのせいだろうか、windows10の自動的に行われるバージョンアップの処理が、再起動の要求を延々と繰り返して終わらなくなった。頼みの綱のiPhoneをUSBでつないでテザリングを試みたが、接続エラーではねられた。ネットにつながらないからwindowsのバージョンアップが終わらない、バージョンアップが終わらないからネットにつながらない、というループに陥ったのではないか。そう思って、遂に、デスクトップ・パソコンをよっこらしょとモデムの傍まで運び、有線でネットにつないだ。それから数時間かけてwindows10のバージョンアップを手動で行い、何度も再起動を繰り返した結果、wifi接続が可能になった。これから先もwifiが使えなくなることは予想できた。そのときのために、パソコンはモデムの近くに置いておくべきだろう。そんなわけで、プリンタも一緒に移動した。有線でも動かなくなったらこのパソコンも終わりだろう。

私はwindowsと格闘している間何もせずにパソコン画面を見つめていたわけではない。ずっとテレビを観ていた。新しい元号が「令和」と決まったこともその間に知った。ちょっと昭和みたい、というのが最初の正直な印象だった。それは決して悪い印象ではない。その時、平成が踊り場だったのではないか、ということが頭に浮かんだのである。それは、これからまた昇っていくことになるのではないか、という根拠のない感覚につながる。平成と同じ長さ令和を生きたら私は100歳になる。そのとき何を感じているだろうか。



コラム一覧へ