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思い出はつながってこぼれ出る


2019.02.24


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 自治会の役員もそろそろ任期が終わる。ゴミ収集の問題が出たときにふと昔のことを思い出した。42年前、引っ越して間もない頃である。当時の私はまだ28歳、現在の自分の子供たちよりずっと若かった。昼間(午前か午後かは覚えていない)、中高年と思われる女性から電話がかかってきた。その人は自分の住所と名前を告げた上で、「今朝ゴミ置き場で仏壇が捨ててあるのを見つけたのですが、お宅ではありませんか」と切り出した。もちろん思い当たる節は無いので「いいえ、違います」と答えた。すると、「おかしいですね。中にあったお位牌にお宅の苗字が書かれていたのですが」と言うではないか。そこで、「もともと我が家には仏壇はありませんし、そんなはずはありません」と言った。女性は納得いかないというように電話を切った。最初は、不幸の電話か嫌がらせか、と思ったが、相手は住所と名前を告げていたのでそれはないだろうと思いなおした。

 今考えれば、多分、仏壇が捨ててあったのは本当だろう。お位牌に書かれた文字も本当かもしれない。でも、他所から持ち込まれたかもしれないのに、何で我が家に直接電話をかけたのか。その時、あの時代の思い出がこぼれ出る。私は、後に『団塊の世代』と呼ばれる一群に属している。当時、上の世代から我々は「非常識な行動をする困った人たち」と思われていた。当時、私の地域の大半は私よりも一回りくらい年長の方々だったので、多分、非常識なことをするのは最近引っ越してきたあの家、と決めつけられてしまったのかもしれない。今では思わず笑ってしまう思い出である。

 最近のニュースで、今年も「保育園落ちた」のつぶやきが多く発せられていることが報じられた。そう言えば、私は子供たちを保育所に入れるために市の福祉課に手紙を書いたのだ。「夫が単身赴任中で、3歳と0歳の子供を抱えて仕事に出るのに大変困っている」という内容だったと思う。それまでどうしていたのか。そのとき、下の子の真っ赤な顔が目に浮かんだ。当時、非正規の仕事を複数掛け持ちしていた私は、産休も育休もとったことは無く、認可外の託児所に子供たちを預けて働いていた。思い出したのは託児所に迎えに行ったときの下の子の熱を出した状態だった。何とか認可された保育所に預けられないだろうか、と考えた私は行動に移した。でも手紙を書くことを勧めてくれたのは誰だったのか。私の記憶では、福祉課に相談に行ったときに対応してくれた職員の方だったと思う。私は救ってもらったのだ。保育所で沢山のお母さんたちと友達になれた。だから、子育てが楽しい思い出として残ったのだ。

 新聞で、職場に子供を連れて行って面倒を見ながら働ける会社の紹介があった。またも思い出がこぼれ出る。私も学校や保育所が休みの日に子供を連れて仕事に行っていた。子供たちは会社の仮眠室でお菓子を食べながらテレビを観ていた。子供たちがオフィスに覗きに来ると、若い人たちが遊んでくれた。30年以上も前のことである。こうして周りの人たちに助けられて私は仕事を続けて来たのだ。

思い出と一緒にポロリと涙もこぼれ出る。懐かしい、そして嬉しい涙である。



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