1年8か月前に腸閉塞の手術をした。自宅で痛みに耐えられなくなり自力で救急車を呼び入院。七転八倒の挙句2日後にようやく手術して痛みから解放され、11日で退院した。しかし、歩けなかった。左足が上がらず、足のつま先がしびれていた。それから2か月間、杖をついて過ごした。杖なしで歩けるようになっても、走れるようになるまでにさらに3か月ほどかかった。でもそれだけでは終わらなかった。
体のバランスを崩して転ぶことが度々あったのである。駅からバス停に向かう途中でバッタリと転倒、スーパーを出たところでバランスを崩して生垣に突っ込む、歩道を普通に歩いているだけなのによろけて転びそうになるなどなど、トラブルは予告なくやってきて私を不安にさせた。
5か月前(退院から1年3か月後)から全く体のバランスを崩すことが無くなった。左足先のしびれはいつの間にか消えていた。筋トレをしたわけでもない。ウォーキングを始めたわけでもない。薬もサプリメントも一切飲んでいない。普通に通勤し、普通に買い物に行っていただけである。なぜ歩けなくなったのか。なぜ転倒するようになったのか。なぜそれが治ったのか。今もって分からない。
最近のキーワードにXAI(説明可能な人工知能)というものがあることを知った。AIの技術であるディープラーニングは、人間にはその判断過程が見えない。つまりブラックボックスである。私などは「研究者が理論に基づいてやっていることなのだから」と信じてしまう傾向がある。でもよく考えれば理解できないことを信じるのは怖い。そこで出てきたのがホワイトボックスのAI、つまりXAIとのことである。しかし、分かりやすくすることでディープラーニングの恩恵はかなり薄れてしまい、せっかくのAIの効果が減少してしまわないだろうか。一体どちらを我々人間は受け入れるのだろうか。
さて、話を転倒の問題に戻す。もしも私が(たまたま)スクワットか何かを始めていたらどうだろうか。「スクワットは転倒防止に役立つ」などと友人に話していたかもしれない。それには科学的根拠などない。あくまでも個人的な感想である。でもそれを信じてしまう人はいるに違いない。何となく本当らしく聞こえるからである。テレビを付ければ、痛みをとるサプリ、元気になるサプリ、肌を若返らせる美容液、しわを目立たなくするファウンデーションなどなどの広告があふれている。しかも今から30分以内に電話するとなんと半額以下だったりする。広告の隅に小さく「個人的な感想」だと書いてあるが、多くの人にとってはどうでもいいことかもしれない。人間は、科学的根拠が無くても、分かりやすいことは信じてしまうものではないだろうか。
AIは一般人にはブラックボックスであることは事実である。でも理解できないものは信じない、信じないものは使わない、というのはどうだろうか。それが導き出された経過のデータが残っていれば、科学的根拠はあると言っていいのではないか。あとは、意味を知っている専門家の判断を信じて使うしかない。我々は分かったような気になって根拠の曖昧なものを使う方を注意すべきではないか。あくまでも個人的感想なのだが。
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コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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理解ができないことと付き合う
2019.02.10