3年半前に17歳目前で亡くなった愛犬は、何の芸もできない臆病者の駄犬だったが、絶対方向感覚(そんなものがあるとすれば)を持っていたと信じている。歩行が困難になってきた最後の1年に至る前の7年間位、毎週末の早朝は、2時間半ほど私と散歩した。地図など持たず、市内、および隣接する市や町までくまなく歩きまわった。お互い、引きずられることも引きずることもなく、寄り添ってよく歩いた。歩き始めて1時間半位して「そろそろ帰ろうか」ということになるのだが、方向音痴の私は立ち止まってきょろきょろすることがよくあった。すると、愛犬はザ・柴犬という表情に変わり、すっと首を上げて歩き始める。来た道を戻るのではない。ある方角を目指して迷うことなく歩くのである。公園を斜めに突っ切り、見知らぬ家の生垣に突っ込みそうになりながらひたすら歩く。目指す方角にあるのは我が家である。しばらく歩いて私の知っている道にたどりつくと、後は、私の横にぴたりとついて家まで帰る。だから戻る時間はかなり短くなった。
最近、仕事で愛媛県の松山に行った。帰りの飛行機は夜7時半過ぎに松山空港を出発した。9時近くになって羽田空港に着陸するアナウンスが流れた。その時、斜め下の方向にオレンジ色の丸い物が見えた。電灯ではない、月だ。その時、私の脳内ではそれを「沈んでいく月」と信じ込んでいた。そこから混乱が始まる。私は飛行機の進行方向の右側の窓際の席に座っている。ということは、飛行機は南に向かって飛んでいるのか?私は松山から羽田に向かっているのではないのか?やがて飛行機は羽田空港に着陸する。なぜ山から海に向かって着陸するのか。混乱したまま、私は空港内を走ってモノレールに飛び乗った。
夜9時を過ぎたモノレールで私は窓から外を眺めていた。月が見えた。白い月だ。でもそんなことは問題ではない。月は上の方にあった。月は昇っていたのだ。すべてが前提から崩れた。私が飛行機から見た月は東側にあったのだ。飛行機は西から東に向かい、北に向かって着陸した。何の不思議もない。思い込みは暴力的ともいえる強引さで誤りを正当化しようとする。飛行機のルートを変え、空港の構造までも変えてしまおうとするのだ。
私の方向音痴はかなりの重症だと思っている。個室形式の飲み屋でトイレに立てば絶対に戻れない。ショッピングモールでも駅でも、慣れていなければ自分がどこにいるか分からない。かつて何度も出張していた支社に行くのに、毎回駅を出てから逆方向に歩いていた。途中でタクシーに乗ってたどり着いたことさえある。大きなホテルでの親戚の結婚式、会合など、目的地にたどり着くのに他人の何倍もの時間がかかる。外でこれを助けてくれるのがスマホの地図なのだが、建物の中ではどうしようもない。
しかし、解決のヒントがあるかもしれない。「思い込みを捨てる」ことである。よく考えれば、宵の口に丸に近い月が沈むはずはない。この時点で「月の出」に思い至れば良かったのだ。支社への道を間違えるのも一呼吸おいて地図を確かめるべきだった。ところで、飲み屋のトイレから戻る方法はこれでは無理だ。行くときに部屋の名前を確認し、右左右右とルートを覚えておくしかない。愛犬カムバーック!犬も部屋の中では無理だろうが。
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コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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月はどちらに出ている?
2019.02.03