つくばエクスプレス(首都圏新都市鉄道)で筑波方面から北千住に向かっているとき、流山あたりを走行中、右側の窓から白い(誰でも知っているような)山が見えた。一瞬「筑波山?なわけないよな。形が違うし、そもそも方角が違う」と混乱した。それが富士山だと認めたくない気持ちが働いた。だって千葉県から富士山が見えるなんてあり得ない。でも、あんな三角形の白い山がどこかにあったっけ。
私が神奈川県の我が家に移り住んだ42年前、家の2階の西側の窓を開けると、目の前に大きな富士山が飛び込んできたものだった。訪ねてきた両親も驚きの声を上げていた。現在は周りに家がたくさん建ったため全く見えない。でも大きいと思った富士山も、甲府で見た壁のような富士山には到底かなわなかった。見えているものの本当の大きさなど実はわからないのである。よく考えれば、我が家から見えた富士山とつくばエクスプレスから見えた富士山では、学校の黒板の横にぶらさがっていた木の大きな三角定規と、筆箱にはいっていたプラスチックの三角定規くらいの違いがあった。人が感じる大きさというものは相対的なものである。でも何かに注目してしまうとそれ以外のものは見えなくなるので、大きさの比較はできなくなる。つまり、心の持ちようで物事は大きくも小さくも見える。
高齢者が振り込め詐欺(オレオレ詐欺)の被害に遭ったというニュースは今でもたびたび流れる。これだけ報道され、注意喚起の呼びかけがあり、だれもが知っている事実なのに、なぜ騙されるのか、と思う。でも考えてみれば、私だって「郵便局から荷物の配達に伺いましたが不在でした」といったメールをついうっかり開いてしまいそうになったことがある。冷静になっていればあり得ないのだが、丁度、通販の品物がなかなか届かずおかしいと思っていた時に来たので本物と思ってしまったのである。移動中のスマホでのメールチェックだったので、家でパソコンを開く前に気づいた。オレオレ詐欺だって、ずっと連絡のない息子の心配をしていたときに息子らしき人から電話がかかってきたら、ついうっかり信じてしまうこともないとは言えない。見えているものの大きさ(重大さ)はその人の心次第で大きく変わるものなのだ。
騙されるのが人間、とすれば、ここは騙されない(失敗しない)ロボットに助けてもらうしかない。つまり、電話はまずロボットが受ける。その内容の信ぴょう性を判断したうえで本人が出るようにする。それ以外にも通学途中の子供の付き添いロボットが、知らない人から声をかけられたらまずその内容の安全性を判断して子供と会話させる。そういえば、ソーシャルゲームで見ず知らずの人とコミュニケーションをとるとき、自分の個人情報が知られないだけでなく声も聞かれたくないので何かを伝えるのにアバターに代行してもらいたいという要望を聞いたこともある。安全のためには仲介ロボットが必要なのだ。
遠くに小さく見えている富士山も、それに注目し、感動すれば大きく見える。これは騙されているのではない。これこそが人間の心の働きである。錯覚が幸せをもたらすことだってある。これはロボットには任せられない。
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所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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見えているものの大きさ
2019.01.27