これまで何度かこのコラムで書いてきたことの中で「訂正した方がいいかもしれない」と思われることが出てきた。叩かないと電源が入らず、殆どBSチャンネルしか観られないポンコツ・プラズマテレビと、立ち上がるまでに1時間以上かかるデスクトップ・パソコンについてである。この1、2か月は、テレビは電源が入らないこともなくどのチャンネルもはっきりと映るし、パソコンも我慢できる程度に素早く立ち上がるようになった。ついでに、代わりを購入済でいつでも引退できる状況にあるプリンタも仕事をしてくれている。これらの電子機器は、ひょっとしてこのコラムを読んでいて、捨てられるかもしれないと焦っているのではないか、などと勘ぐってしまいたくなる。まるで人間みたいではないか。
機械であれば、年月を経て劣化するのが当たり前である。だからどんどん問題が増えてきて使えなくなるはずである。しかし、21世紀に入って使われている電子機器は違う。何もしないのに急に問題が解消することが多い。何か別の力が働いているのでは、と考えてしまう。それが「まるで人間みたい」と思わせる。まあ考えてみれば、現代の電子機器はハードとソフトが複雑に組み合わせられたものであり、様々な条件の重なり合いで予期しない動きをするものだ。こちらの方が納得のいく説明である。
ところで、「人間らしい」とは何だろうか。今までの流れからすれば、「予測できない行動をとること」と言えそうである。逆に、いつも同じようにキチキチと仕事をこなす人は「機械みたい」に見えてくる。つい最近までは、いつも間違いなく仕事をこなす人が優秀なビジネスマンとされていた。そのような「機械みたい」な人はAIに置き換えられてしまうのではないか。2019年1月16日に第3回ロボデックスで見たロボットは、どれも細かい仕事を間違いなくこなしていた。同じ仕事を飽きもせず。つまり、人間らしさを押し殺して真面目に働いてきた人ほどロボットに仕事を奪われるというわけである。
人間らしさ、すなわち、予測もしない行動をとることについてもっと考えてみよう。一つの要素は、柔軟な発想と創造力だろう。今までとは違った発想で、新しいやり方を取ったり、新しいものを作ったりすることである。ただし、改善や工夫のレベルを超えていなければならない。AIに取って代わられないためにはこれが重要な要素となってくる。だからこそ、我々は、色々なものを見て、深く考えて、本質を見据えて、新たな考えを生み出す訓練をしなければならないのだ。
もう一つの人間らしさの要素は、間違うことである。勉強していなくてテストで間違った答を書くというのとは違う。何が正しいか分かっているのに過ちを犯す、気を付けていたつもりなのにうっかりミスしてしまう、慌てていて大切なものを忘れる、などである。これは少なくとも仕事をしていく上では悪いこととされている。でも人間である限り避けられない。これが無くなった人間はロボットみたいと言われてしまうのではないか。
人間は間違いを犯すということが、もしかしたらAIに取って代わられないことのヒントになるかもしれない。などと自分の行動を正当化している自分が居る。まさに人間らしい。
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所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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人間らしさとは
2019.01.20