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強いリーダーを求めることの危うさ


2016.12.04


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 来年早々にはアメリカにトランプ大統領が生まれる。トランプ氏がアメリカで支持された理由は様々なところで分析されている。中でも私は、「強いリーダーを求める」点に着目したい。

 強いリーダーは障害物をブルドーザーで排除し、富(つまりお金)をもたらしてくれる。だから何も考えずについていけば幸せになれる。どこかで経験したような気がする。田中角栄の時代である。列島改造論が発表されたのは私が社会に出た時期だった。そして今、田中角栄が密かにブームになっている。それだけではない。世界中で強いリーダーを求める風潮が広まっているように見える。

 私にも強いリーダーに憧れた時期があった。東京オリンピックが終わったとき、女子バレーボールに金メダルをもたらした大松博文氏が書いた「おれについてこい」がベストセラーとなった。私も買って読んだ記憶がある。大学受験で勉強法が分らず悩んでいた時、強い指導者が「おれについてこい」と勉強法を伝授してくれて何も考えずにそれを実践したら合格、なんてことがあったらどれほど良いだろうか、と何度も考えた。それが一種の逃げであり、思考停止であり、楽をしたいことの裏返しであることに気づいたのはかなり時間が経ってからである。

 強い者への憧れは誰にでもある。ただし、それに依存し、追随するだけで自分独自の考えを持たなくなったら、危険である。疑いもなく強い人の言いなりになることで、時代が変わって環境や価値観が変わったとき、柔軟に対応できなくなる。さらに、もしもその強い人が正しくない道を歩み始めても気づかない恐れもある。大企業が不正をしているとき、従業員が疑いもなくそれに加担しているなどよく似ているではないか。

 逆に、最初から自分で考えて行動するとすれば、時間がかかり成功の確率は下がるかもしれない。しかし、時代が変わっても柔軟に対応できる可能性は増える。また、最初は強い人に憧れてその人から多くを学んだとして、その先でその人を超えようとすれば、当然自分独自の考えを持つことが必要になる。それが新たなものの創造に結びつくし、自分の血となり肉となる。

 よく言われる「女性が働き続けるためにはロールモデルが必要だ」にも同じような危うさが潜む。よいロールモデルというお手本の人が見つかったとして、憧れが依存(真似)や追随となり、挙句の果てに一種の逃げや思考停止に結びつくケースはよくある。「あの人は学歴が高いから、家族の支援があったから、健康だからできたのだ。私はそれらを得られないからできないのだ。」というのはロールモデルがあればこその一種の逃げである。

 不確実な時代には強いリーダーが求められるのは理解できる。しかし、依存することで自ら考えることを放棄し、自分の意見を持たなくなることで生じる危険は忘れてはならない。



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