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曖昧な知識からは将来は見えない


2018.10.28


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 大学で私が立ち上げた創造性開発研究室では、所属する各学生が持ってくる課題に対して、現状調査を行い、本質的な問題を定義し、その解決策を発想する。なぜか今期はソーシャルゲームやe-sportsなどのゲームのビジネスに関するものが多いのだが、現在の農業や流通業の抱える問題の解決、少子化対策や働き方改革に関するテーマなどもある。多様なテーマの各々について、私も一緒に解決のためのアイディア出しを行う。そんな中でよくあるのが、「この部分はいずれAIで解決するはずだから」「ここはロボットに任せることにして」「将来はドローンでできるはずだよね」などと、問題の一部を「解決の方法はあるものとして」切り離してしまうことである。実は、私も学生たちもAIやロボットの専門家ではないので、世間一般に言われていることを鵜呑みにしているだけなのだが、本当にそれでいいのだろうかと最近疑問に思うようになった。

 技術の世界は細かく専門が分かれており、同じ分野に見えても専門が違えば相手のことを正しく理解することは難しい、と私は以前から強く感じていた。例えばAIの世界で専門的に研究している研究者ほど、現在の技術レベルや将来の可能性についてネガティブ(あるいは慎重)な姿勢を取っていると感じる。知れば知るほど、闇の深さ、解決すべき問題の大きさにぶつかるのではないかと思う。でもそれは素人の我々にはなかなか伝わらない。

 思い起こしてみると、ブロックチェーンの仕組みを理解しようと大学のPCに仮想環境を作り、ビットコインやイーサリアムを動かし始めてから入門書2冊の実行例を全て再現できるまで(仕事の合間にやっていたにせよ)5か月もかかってしまった。公開されているソフト群のバージョンが少しでも違うと、つながるはずのものがつながらなくなり、マイニングが一向に進まなくなり、トランザクションの実行を拒否され、と様々な落とし穴にはまり、抜け出せなくなっていたからである。分ったのは、昨日できていたことが今日できなくても不思議ではない世界だ、ということである。こんなことで将来が語れるのだろうか。

 という訳で、AIについてより深く学ぶことを決意した。しかし、道は険しく遠いことをすでに感じている。脳の仕組みの本を読んで、詳細は理解できないものの、研究レベルでもまだまだ未知の部分が沢山あることを知った。まずは明確になっている部分を理解しなければならない。フリーソフトを使って機械学習の仕組みを理解しようとしているが、サンプルのデータではうまくいくことが分かったが、自分で取ったSNSのデータ5万件を処理しようとして落とし穴にはまったままである。そう言えば、企業でAIのビジネス利用を担当している知人が、学習データの入力が最も大変だと言っていた。

 現在のAIブームの立役者といえばディープラーニングである。学生、研究者向けの専門書で勉強を始めたのだが、次から次へと出て来る数式の多さに息切れ寸前である。20代の頃だったらこれくらい平気だった(と思うのだ)が、70代の錆付いた数学脳はなかなか受け入れてくれない。しかし、ここで挫折しては技術者の名が廃る。早く錆を落として理解し、先に進まなければならない。人生100年、将来を見るためにやるべきことは沢山ある。



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