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やり残したこと


2018.10.07


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 平日は大学で講義とゼミ、週末は自治会の仕事、その合間を縫って孫の保育園の運動会に行き、実家の近くの施設に入っている94歳の母を訪ねる。こうして隙間なく予定が詰まっているが、月命日の夫の墓参りも欠かしてはいない。しかしこの忙しさも来年の3月で終わる。大学は定年となり、自治会の役員の任期も終了するからである。もちろん技術士事務所は継続しているが、大学の仕事がフルタイムだったせいで営業活動がおろそかになり、事務所は大赤字が続いている。その対策は打っているのだが、新たな人脈作りはとても難しい。ということで「コキ(古希)のシュウカツ(就活)」は出発点から困難が予想される。

 70代になってそんなに焦って仕事を探す必要はないのではないか、と思うこともある。家庭菜園もどきをやってみたい。もっと母を訪ねる頻度を増やしたい。孫と過ごす時間を増やしたい。何より早く歯医者に通わなければならない。パスポートだけ取って海外旅行の計画は全然立てていないではないか。仕事はその合間に少しずつやっていけば・・・そんな声も聞こえてくる一方で、心の中がざわつく。「やり残したことがあるのではないか」と言う声がどこかから聞こえる。

 この心のざわつきは過去にも経験したことがある。20年近く前の50代に入った頃である。仕事と子育てを両立させるために突っ走ってきた時期が終わり、子供たちは成人した。ようやく手にした管理職も役職定年が近づいて手放すことになる。何かやり残したことがあるように思うのだが、それが何か掴めない。その心のざわつきがしばらく続いた後、ふと気づいた。私が会社に入った最初の配属先は研究所だった。情報技術の研究者になるつもりだったのではないのか。その後様々な事情で研究者を外れ、システムエンジニア、技術コンサルタント、そして最後は管理部門でビジネス企画と経営品質担当である。かつての同僚の大半は、その間に海外留学や海外勤務をし、学位を取り、大学教授になっている。「そうだ。学位を取ろう」。気づいたのは52歳の時だった。それから5年後、57歳で曲がりなりにも工学博士の学位を手にすることができた。それが会社を定年退職した後の次の仕事に結びついたことは言うまでもない。

 さて、今の心のざわつきは何なのだろう。何が『やり残したこと』なのだろう。そんなことを感じつつ、帰宅途中に本屋に寄って様々なジャンルの本を購入しては読んでいた。そのうちの1冊「脳の意識 機械の意識 脳神経科学の挑戦」という中央公論新書(渡辺正峰著)を読み始めたときに突如として気づいた。「私は何も究めていない」。かつて似たようなこと「私には何も後世に遺せるものがない」は感じていた。しかし、その前にすべきことがあったのだ。何かを究めなければ遺すことなどできない。

 他にもやり残したことは沢山ある。でもエジプトでピラミッドを眺めることも、ナスカの地上絵を眺めることも、オーロラを見ることも、今は興味がない。あと30年は時間がある。ゼロから学んで究めることはできるのではないか。問題は知力と体力だ。体力の方はロボットに任せることにして、知力は自分の努力で衰えさせないようにしなければならない。



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