トップページ > コラム

女性活躍を阻むのは低いガラスの天井


2016.11.27


イメージ写真

 アメリカ大統領選挙で多くの人々の予想を裏切ってトランプ氏が勝利した。そのニュースの中に、ヒラリー・クリントン氏が負けたことを「ガラスの天井が破れなかった」あるいは「ガラスの天井は高すぎた」と表現する記事が見受けられた。私はその表現に違和感を覚える。そもそもガラスの天井など存在したのだろうか。

 クリントン氏の得票率はトランプ氏を上回っている。クリントン氏を大統領にしたい人は多かったということである。過去に得票率が高かったにもかかわらず大統領になれなかった男性は何人もいる。彼らはガラスの天井が破れなかったとは言われていない。単に大統領選挙に負けただけである。クリントン氏が負けたことによって女性活躍が遅れるとは思えないし、勝ったとしてもそれほど影響が出るとも思えない。「アメリカで女性の大統領が生まれたことだから君を課長にしよう。」などという企業があるだろうか。

 女性活躍を阻むガラスの天井はもっと低いところにある。しかも数が多い。昭和の時代には明確に規則になっていたり明確に口に出して言われたりしていたことが、平成になってガラスの天井に変わっただけのことである。例えば育休明けで戻った女性社員に「まだ働くのか。子供がかわいそう。」と言うことや、「女性は論理的な思考ができないから管理職には向かない。」と決めつけることは、昭和の時代なら当たり前だったが、平成の世の中では、表向きは言ってはならないことである。でも、いまだにささやかれている。本音の部分ではそう思っている、あるいは思いたい人が多いのではないか。

 私は昭和の時代に18年間、平成の時代に25年間企業で働いてきた。昭和の時代には、今考えればセクハラ、パワハラと思われる扱いをかなりされてきた。多くの女性たちは「会社というところはこういうところなのだ。これが世の中の仕組みなのだ。」とじっと我慢してきた。平成に入り、男女雇用機会均等法のお蔭で表向きは平等に昇進の機会が与えられるようになった。それがガラスの天井を生み出した。本音と建前、裏と表は違った。声に出して言われないが、目に見えない形で同じことが行われるようになったのだ。

 例えば、女性の管理職を作ることを「前例がないことをすると何かあったときに責任を取らされる」と躊躇することがある。もちろん表立ってそう言う訳ではない。候補者の評価の際に何らかの事実を取り上げて「管理職にはふさわしくない」とするだけである。例えば会議の席で反対意見を述べたことを捉えて「協調性がない」という評価にして人事に報告する、など。それが「女性を登用すべきである」という社長の一声で覆ったりする。その時にたまたま先頭に立っていた人が初の管理職になるのである。その人を広告塔にしただけで後が続かなくなることは往々にしてある。このようなガラスの天井が至る所にできている。

 ガラスの天井を壊すためには、人間の本音の部分を変えていくしかない。では、なぜ、本音として女性の上にガラスの天井を置きたがるのだろうか。色々あると思うが、私の経験からどうしても拭い去れないのは、自分より弱い立場の人間がいることにより「自分の方がまだましだ」と思える心理が影響しているのではないか、という点である。正規雇用と非正規雇用の区別も、この心理がある限りなくなりそうもない。もう一つは、優秀な女性が上に上がれないことで「あの人でも無理なのだから私ができないのは私のせいではなく世の中の理不尽さが原因だ」という安心感を得たいという心理である。これは体のいい逃げにつながる。

ガラスの天井は厄介で根が深い。ヒラリー氏のガラスの天井は、全く別世界の話に思えてくる。



コラム一覧へ