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人工知能に仕事を奪われる


2016.10.16


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  最近、大学の同窓会があり、団塊世代の男女が集まった。こういう席で(他人事のように)話題に出るのが「人工知能の発達によって人間の仕事が奪われるか?」というものである。なぜ他人事かというと、自分たちは既に一線を退いているし、子供世代もあと30年もすれば一線を退くだろうから関係ない、という気持ちがあるからである。しかし孫世代はどうだろうか。私は気になって仕方がない。

 息子が人工知能の研究をしているという友人が言った。「人工知能には司法試験の問題は解けないそうだ。まだまだ人間を超えられないよ。」確かに、その道の専門家の話では、世の中で騒がれている「人工知能が人間を超えるシンギュラリティ」など笑い話ととらえている節もある。それに、「人間を超える」の定義はあいまいだし、人間にはまだまだ未知の能力があるはずなので、そう簡単に超えられるはずはない、というのはうなずける。しかし、ビジネスの世界では別の見方もできるのではないか。

 ロボットに司法試験に受かってもらって弁護士になってもらう必要はない。ロボットに東大に受かって官僚になってもらう必要もない。弁護士がロボット(人工知能)を使って現在の何倍も何十倍もの仕事をこなしてくれれば十分だし、官僚がロボットを使って適切な判断と実行力を発揮してもらえばいいことである。だから、すべての面で人間を超えなくても、ある突出した能力だけでも発揮できれば世の中は大きく変わる可能性がある。

 人工知能の発達が人間の価値観やビジネスの仕組みを変える時期はそう先ではないかもしれない。その具体的な現れとして、人間の仕事が奪われることは十分考えられる。 多くの知識を持っていること、多くの経験をしていることは人工知能の発達によって評価の度合いが下がるだろう。人が介入する方がいいとされる介護だって、むしろ恥ずかしさを感じないですむロボットにやってもらいたいという気持ちの方が強くなるかもしれない。少なくとも私はロボットにオムツを替えてもらいたい。

 では、これからの人間はどうすれば仕事を奪われないですむだろうか。

 まず、現在の社会やビジネスの仕組みを前提とする考え方から解放されることが求められる。現在の常識は明日の常識ではなくなる可能性は十分ある。過去に経験したこと、学んだことは、それだけに頼るのではなく、その本質(エッセンス)を体に染み込ませ、新たな自分を作り上げる必要があるだろう。その上で、技術の進歩の方向性を掴み、将来を予測していく。

 そうした結果として誰もが仕事を得られるかというとそれは無理だろう。ごく限られた人とロボット(人工知能)で大半の仕事は済んでしまうと思われる。高い生産性のお蔭で世の中は豊かになる。普通の人はその恩恵に浴しながら、手間のかかる料理を楽しみ、自分だけの手作りの家具や衣服を作り、緩やかな生活をすることになればよい。心にゆとりができれば、子供たちや高齢者に優しい振る舞いもできる。それこそ豊かな生活である。でも、生き甲斐は自分で見つけなければならない。これが最大の課題ではないか。



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