「曽野綾子さんの記事が話題になっていますね。」と言われて、かなり遅れてであるがネットで検索してみた。週刊現代の「何でも会社のせいにする甘ったれた女子社員たちへ」という寄稿の中の、特に「出産したらお辞めなさい」の部分が議論になっている。色々な方々の意見も読むことができて、話題になっていることの全体像は掴めたように思う。
ふと、45年前のことを思い出した。当時私は20歳の大学生。大学進学率が低い時代の、幸いにも4年制大学に進学できたごくごくわずかな女性層の一員であった。
私を含めた女性たちは、大学を出たら社会に出て働く、ということに対しては意欲的だったが、自分の家族(特に父親)を含む世の中の風当たりは強く、誰もが不安を感じていた。そんなとき、社会で活躍する先輩女性の体験を聞かせてもらえる集まりがあると知り、期待を胸に参加した。
当時のエリート女性といえば、上級公務員試験に合格して官僚になった方々、司法試験に合格して検事や弁護士になった方々、大学教授として研究や教育に力を尽くしている方々、といったメンバーである。年代的に言えば、30代の後半から40代といったところだろうか。そう、曽野綾子さんと同世代である。
最初に話された方は、開口一番、「仕事を続けたいなら結婚してはいけません。女性はある年齢になるとさかりのついたように結婚したがりますが、そこをぐっとがまんすべきです。」と言われた。理系の代表として出てこられた大学教授は、結婚して子育てをしながら研究を続けた経験を、それがどんなに大変だったか、涙ながらに語られた。私は、それ以上話を聞く気にならなかった。
「おかしい、何かが間違っている。」それが、私の最初に感じたことである。どうして、結婚をして仕事をしてはいけないのか。男の人は普通にやっていることではないか。苦労されたことは良く分かるが、だからあなたたちも苦労せよ、と言うのか。女性だって、男性と同じように、仕事もして、家庭も持って、子供を育てていくような世の中にしていくべきなのではないか。
私たち団塊の世代は、「戦争を知らない。苦労していない。」とその上の世代から言われ、「世の中を悪くしたのはあんたたちだ。」と下の世代から言われている。しかし、私はちょっと違うと思っている。先輩たちの苦労を自分たちもするのでは進歩がない。わがままかもしれないが、こうなりたいと思うものに向かって自己主張し、世の中を変えていこうとしてきたのである。ただし、こうなりたい、は自分自身のみ向けられるものではなく、広く世の中全体に向けられるべきであり、権利のみを主張して周囲への配慮を怠ることはまずい、ということは当然である。
仕事、社会貢献などの外に向かう行動と、結婚、子育てといった内に向かう行動のどちらか一方を取る、というのは本来おかしい。両方を追求するのが自然な行為なのだ。当たり前のことを自然にできる世の中にしたいものだ。
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コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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女性の働き方について改めて考える
2013.10.10